ザ・ゲーム (THE GAME)

日本盤発売日:1980年7月21日
イギリス盤:1980年6月30日、アメリカ盤:1980年6月30日
イギリス盤初版:「A面:EMA 795-3U」「B面:EMA 795-2U」

赤の帯、銀のミラージャケット(US盤のジャケット用フィルムをほぼそのまま使用)、立川直樹氏と江川雄一氏の対談ライナーノーツ・日本語訳詞、アンケート付きハガキ、英詞が書かれてあるピンナップ(後発盤は、米盤仕様と同様、ピンナップを兼ねたレコード袋に変更)が付属している。
「UK盤」は米国にてラッカー盤へのカッティングを行い、イギリス国内でプレスされた。その為、良質な音質を保っている。
「UK盤ジャケット」はミラー感が少なく、「US盤」は最もミラー度の高い物だったが、直ぐに「灰色ジャケット」に変わった。「ワーナー・パイオニア盤」のみ「ミラージャケット」を貫き通した。
「UK盤」を始めとする各国盤は「Another One Bites the Dust」表記で統一されているが、「後発UK盤」では「Another One Bites The Dust」表記のアナログ盤も存在する。

1979年12月に先行発売されたシングル「Crazy Little Thing Called Love」、翌80年4月にはシングル「Save Me」が発売されていた。
余談になるが、「Crazy Little Thing Called Love」発売後のライヴでは、フレディがアコースティックギター(またはエレキギター)を弾きながら歌う為、フレディのマイクスタンド(クイーンコピーバンドの間では「フレ棒」と呼ばれている)にはビニールテープが巻かれる様になる。時期によって「白」「緑」「黄」「黒」様々な色のビニールテープが巻かれているが、これはマイクスタンドにフレ棒を挿す際の目印としたもの。ライヴ写真集等を見る際、フレ棒のビニールテープを見つけるだけで「JAZZ TOUR」なのか「CRAZY TOUR」なのか分かるという事だ(例えば、「クイーン・コンサート・ドキュメンタリー〜伝説の証」の「P97」など)。フレディとジョンのローディーだった「Peter Hince氏」がマイクスタンドを準備しやすい様にフレ棒に目印を付けていた様である。
フレディは、これ以降のライヴ(映像源で言うならば、1981年カナダでのライヴ等)になると、ステージ上のアクションなどに、(フレディと同じアフリカ出身のミュージシャン)フェラ・クティを思わせるものに変わっていった様に思う。

「Crazy Little Thing Called Love」では50年代風サウンドを導入。50年代の音楽は彼らのルーツであったし、フレディのやりたかったであろう事、クイーンが「4人のルーツ」を探った結果が「初の米国チャートNo.1」だった。アルバムからは「Another One Bite The Dust」がシングルカットされ、当時の音楽雑誌で米国の黒人チャートでNo.1になったという記事を見た(後に全米チャートNo.1)。「Dragon Attack」のレコーディング工程も面白い。まずイントロで聴かれるフレーズを延々と繰り返し録音後、3人のソロパートも含みながら、曲の構成を組み立てていく、という作曲法である。
ロジャー作の「A Human Body」はアルバムには収録されず、シングル「Play The Game」のB面に収録された。好きな曲だった。筆者はシングル盤を好まず(低域不足感が好きではない)聴く事自体が少ない。が、この曲の為に「QUEEN COMPLETE WORKS(UK盤)」を購入した。

ドイツ「Musicland Studio」の「Mack」がレコーディングエンジニアとしてクイーンサウンドに変化をもたらした。「ELO」サウンドを作り上げた名エンジニアでもある。レコーディングエンジニアの存在意義は楽曲そのものよりも大きい。別項「A KIND OF MAGIC」や「SMILE Mini LP」でも触れるが、Mackはドラムサウンドへのアプローチを変えた人物だ。
「JAZZ」と大きく異なる点は多く存在した。華々しい程の「シンセサイザーデビュー」。筆者にとってこのショックは「フレディの髭」と同等なものだった(何しろLP「バルセロナ」を衝動買いしたのは「フレディが髭を剃った!」、だったのだから)。

それぞれの盤の見分け方は、「戦慄の王女」の項をご参照ください。

P-10875E
「THE GAME」発売日、まだダンボール箱に入ったままの「THE GAME」を(店主のご好意があって)見つける事が出来た。その際に「クイーンのポスター」を貰った覚えがあるが、部屋に貼ってしまったので今は手元に無い。英・米盤とは異なり、日本盤は「東芝カッティング、東芝プレス」で「TO」刻印有り。
プレス年月:1980年7月
A面:1-B-5
B面:1-A-43

ジャケット印刷:lc A
ジャケット・カタログNo:5E513
(ジャケット裏) P-10875E (背表紙)
ジャケット価格表記:¥2500 
(背表紙)


P-10875E
「ピンナップ」が「レコード紙袋」に変更になった。「ライヴキラーズ」以来の「レコード紙袋仕様」である。ザ・ゲームの「ピンナップ」が「レコード紙袋」へ変更になった時期については不明だが、遅くとも1980年12月以降という事になる。この米国盤と同仕様の「レコード紙袋」はこの盤と「FLASH GORDON」以降、クイーンのワーナー・パイオニア盤ではレギュラー仕様になった。「東芝プレス」「TO」の刻印あり。
プレス年月:1980年12月

A面:1-B-7
B面:1-AB-11 
(消し線は二本)
ジャケット印刷:lc A
ジャケット・カタログNo:5E513
(ジャケット裏) P-10875E (背表紙)
ジャケット価格表記:¥2500 
(背表紙)



P-10875
前項で触れた「P-10875E」は「P-10875」となり、帯も変更、シュリンクラップで覆われている。筆者はこの盤を所有していない。具体的な事は全く分からない。「クイーン・グレイテスト・ヒッツ」の項で触れるが、80年代後期の東芝盤は音質が悪い為、この盤も音質があまり良くない可能性がある。
プレス年月:
A面:
B面: