1992年4月20日 フレディ追悼コンサートに関しては、賛否両論ある様だ。 実際、私がこの頃在籍していたバンドのメンバー1人が、「追悼コンサートには行かない」と言っていた・・・。 解る様な気がした・・・。でも私には、「行かなきゃ!」、という使命感の様なものを感じていた事も事実だ・・・。 これを観なかったら、一生後悔するかも・・・と。 一抹の不安も感じながら・・・。 今回の渡英では、数人の知り合いと、再会する事が出来た・・・。 ロンドンの街中が、この「フレディ追悼コンサート」に、集中しているかのようだった・・・。 「もうお別れなんだね・・・。これが最後になるんだね・・・。もう2度とクイーンを観る事は出来ないんだね・・・」 私は、今にも泣きそうなくらい、ひどく落ち込んでいた・・・。 せっかく、またロンドンへ来る事が出来たというのに・・・。 4月20日当日は、BBCで、この「追悼コンサート」が生放送されるそうだ・・・。 テレビでは、盛んに、「追悼コンサート」の特集を組んでいた・・・。 4月19日・・・。 私は、ウェンブリー・スタジアムへ行った・・・。 何故か違う駅で降りてしまったらしく、スタジアムまでの道のり・・・、相当長い距離を歩いた・・・。 「あ!、何か音が聞こえる・・・」 私は、その“音”のする方向へ、歩いていった・・・。 ウェンブリー・アリーナの横を通り過ぎて、まっすぐ歩くと、とてつもなく、巨大なスタジアムがある。 ウェンブリー・スタジアムだ! スタジアムでは、リハーサルが行われていた・・・。 「あっ! デフ・レパードだ!」 私は、スタジアムを一周して回る事にした・・・。 そこには、トレーラーの出入り口があって、ほんの少しの隙間から、ステージを見る事が出来た・・・。 その時、私の目に飛び込んできたものは、「白鳥」のオーナメントだった・・・。 今まさに、飛び立とうとしている、「白鳥」だったのだ・・・。 私は思った・・・。明日になれば、「白鳥」は、空高く、飛び立ち、もう二度と、帰っては来ないと・・・。 4月20日・・・。 遂にその日は来た・・・。 私達は、色々な事を思い、色々な想いを抱きながら、ウェンブリー・スタジアムへの道を歩いた・・・。 駅前から、スタジアム周辺までの間、何かを配っている人達がいた・・・。 何やら、赤いリボンの様な物・・・。 そう、これが、“レッドリボン”だったのだ・・・。 チケットを見ながら、ゲートを探していた・・・。チケットには、“A”と書いてある・・・。 ようやく、Aゲートの前まで辿り着いた! 私達は、大急ぎで列の後ろへ、並んだ・・・。 やがて、ゲート前は、相当な数の人達で、埋め尽くされていった! ゲート前で並んでいた時、突然、ステージから、リハーサルの音が聞こえてきた・・・。 “Bohemian Rhapsody”と“The Show Must Go On”だった・・・。 「やばい!」、そう思った私は、バンドのメンバーから、慌てて帽子を借りた・・・。 私の目は、涙でいっぱいになった・・・。必死の思いで、目をつむって、涙をこらえようとしたが、ダメだった・・・。 涙が溢れて、私は、「暑いね!」などと、汗を拭き取る仕草で、ごまかしながら、涙を拭った・・・。 多分、この時の私の目は、真っ赤になっていたと思う・・・。 “The Show Must Go On”が終わった時、ふと、私は、目をそらした・・・。横を見たら、イギリスの方が、私を見ていた・・・。 涙でいっぱいになっていた私の目は、きっと、その人に、見られ続けていたのかも知れない・・・。 どれくらい待ったのだろう・・・、ようやく、ゲートが開いた! ゲートの所では、バッグの中身などをチェックされている様だ・・・。「やばい・・・」 私のバッグの中には、“ビデオカメラ”が入っていたのだ! が、係の方は、私の“ビデオカメラ”を見逃してくれた! 私達は、前の列に並ぼうと、必死になって走った! 思っていたより、随分、前の方を確保する事が出来た! ステージの上を見上げたら、昨日の「白鳥」が、今、まさに、飛び立とうとしているかの様に見えた・・・。 コンサートが、始まった! ブライアンが何かコメントしている!。が、心がドキドキしている私には、全く耳に入らなかった・・・。 続けて、ロジャーのコメント! そして! ジョンだ! (は! ジョンが喋った!) 周りの歓声も凄かったが、私までもが、「ジョーンっ!!」と叫んでいた! ジョンのコメントのラスト、「メタリカ!!」の声で、ライヴは始まった!。この時のジョンの「メタリカ!!」の声は、今までに聞いた事も無いくらいの迫力を感じた! オーディエンスは、大歓声を上げた!! ステージには、メタリカが登場し、コンサートは、始まったのだ・・・。 いよいよ!、クイーンの登場だ!! クイーンのライヴの前に、フレディのVTRが会場に流された・・・。例の「レ〜ロ!」である! このフレディのVTRに合わせて、スタジアムのオーディエンスも、一緒になって、「レ〜ロ!」の大合唱である!! 本当に感動した・・・。まるで、そこに、フレディがいる様だった・・・。 VTRが終わって、ライヴの始まりだ! オープニングは、“Tie Your Mother Down”だ! 激しく、マグネシウムが発光し、オーディエンスは、大歓声を上げた! 曲は、それぞれのゲストによって、フレディのパートを歌い、コンサートは、進んでいった・・・。 コンサートは、予定の時間を大幅に超え、BBCの生放送では、途中で終わってしまったらしい・・・。 当日の曲目リストの中には、ロジャーが歌う“A Kind Of Magic”も含まれていた・・・。 が、この時は、イントロのシンセの音だけで、ロジャーの歌を聴く事が出来なかった・・・。 (3曲目に“MAGIC”と書かれているのが判る・・・) コンサートが終わったのは、午後10時を回っていた・・・。 私達は、興奮の余り、そこからなかなか立ち去ろうとしなかったのを覚えている・・・。 同時に悲しみもこみ上げてきた・・・。 私達は、それぞれの複雑な想いで、ホテルへと戻った・・・。 あの日・・・、あの時・・・、もし、こんなにも、偶然の重なりがなかったら、私達は、ここへは来られなかったのだろう・・・。 それが、何故、そうなったのか、今でも私には解らない・・・。 ただ、私は、“私達の8年前のあの日の事”を、今それぞれがバラバラになり、二度と会う事が無くても、心の中には、いつまでも、残り続ける事を信じている・・・。 私は、本当に心から、バンドのメンバー、タムちゃん、他、色々な方々の心遣いに感謝している・・・。 本当に、ありがとう・・・。 来年、2001年。私達はフレディの10回忌を迎える・・・。あまりにも早く感じ過ぎた10年だった様に思う・・・。 イギリスはともかく世界中でクイーンが認知される様になったのは、「フレディが亡くなったから」だという言い方をする人達がいる・・・。こんなに煽られて認知されるより、フレディが生きていて、クイーンはまだ続いていて、彼らの好きな時間に作ったアルバムを手軽に買えたあの時代の方が良かったと思うのは、きっと私だけではないと思う・・・。 |