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1961年3月、ビートルズがまだハンブルグに滞在していた頃、当時のベーシストであった、“スチュアート・サトクリフ”は、「ハンブルグへ残る。アストリットと一緒にハンブルグに残るよ・・・」と言い残し、バンドを脱退する事になる・・・。 “アストリット・キルヒヘア”・・・、スチュアートの恋人であり、後の婚約者となる女性である。
ビートルズ結成当時、ベーシストはいなかった。そこでジョンは、アート・スクール時代の友人であり、画家志望だったスチュアートにベースを担当するよう、説得を続けた・・・。やがてスチュアートが描いた一枚の絵が売れた時、「その金でベースを買え!」と強制的に買わされた事は事実だ・・・。 |
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アストリットが撮影した有名な写真
写真左側から:ピート・ベスト、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン ポール・マッカートニー、スチュアート・サトクリフ |
ポールは、常にビートルズを第一に考えていたし、最高のバンドである事を誇りにさえ思っていた。他のメンバーに対して不満がある時などは、辞めるよう説得していたらしい・・・。スチュアートもその一人だった・・・。 ポール:「確かにスチュとは喧嘩をしたよ!でも実のところ、僕はビートルズを本当に最高のバンドにしたかっただけなんだ。スチュは優秀なアーティストではあったけど、少しばかりブレーキになっていたんだ。少しだけね。ひどく足を引っ張るとか、そういう事ではないよ。ただ誰かが僕らを観に来てくれている時は頑張らなきゃって時に、“ああ、スチュに台無しにされなきゃいいけど”って思った。他のメンバーは信頼出来たけど、スチュはステージ表から背を向けて、ヘタくそに思われない様に、キーが外れている事がバレない様にしていた。みんなとキーがズレるとまずいからね」 スチュアートがバンドを辞めた後、ジョンとジョージは、ポールにベースを担当するよう説得をする。「無理矢理押しつけられた」 らしい・・・。 「結局、スチュがアストリットと暮らす為にバンドを離れる事になったから、少しの間だけ、ベースを貸してくれって頼んだんだ。彼のベースは右利き用だったけど、また彼が弾く事になるかも知れないから、弦を張り替える事は出来なかった。どっちみち、その頃は逆に持ち替えても弾けるようになっていたからね。−ジョンもジョージも絶対ギターの弦を逆にさせてくれなかったから−元に戻すのは大変だろ?」 (ちなみに、上の写真でポールが弾いているギターは、ジョンのギター(Hofner CLUB40)を左利き用に弦を張り替えたもの) 当時、スチュアートが使用していたベースもヘフナー製だ。当時のヘフナー製のベースは比較的安価で買えるベースだったそうである。 |
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Hofner 500/5 58年製
スチュアート・サトクリフが実際に使用し、 ポール自身も一時、使用していたベース (リア側のピックアップは外してしまったのか、無くなっている) |
スチュアートは“500/5”
ポールは“500/1” |
当時のポールはステージではピアノを担当したり、ソロ・ヴォーカリストの様に振る舞ったりしていた。そういった事情もあり、“スチュアート脱退後のベース適任者はポール”という事になってしまったらしい・・・。同時に自身が使用していたギター「Rosetti
Solid 7」にベースの弦を張った末、壊れてしまう等のトラブルも有った。その為、自分専用のベースを購入する決意をした・・・。 ポールがヘフナーバイオリンベースを購入したのは、61年4月頃である。が、スチュアート脱退後に購入したという訳ではなさそうだ。 ポールは、トニー・シュリダンとのレコーディングセッションを6月に控えていた時期でもあり、早急に自分の為の左利き用ベースを欲しがっていた。 ジョージ:「トニー・シュリダン・トリオのベーシスト、“コリン・ミランダー”が“GIBSON社製EB-1”に似たヘフナー社製500/1型バイオリンベースを弾いていたのを見て、ポールはバイオリン型のヘフナーベースを購入しようと考えたんだ。」 (GIBSON社は、1954年に、バイオリン型エレクトリック・ベースを、ヘフナー社よりも先に発表していた) ポール:「とにかく僕は自分のベースを持とうと決心した。ハンブルグの中心地に小さな楽器店があってね。時々店の前を通ってバイオリン型のベースを見ていた事を思い出すよ。バイオリン形というだけで十分に興味をそそった。左利きの僕としては、左右対称な形状が気に入った。左右対称だから逆向き(つまり左向き)に持ってもおかしくないと思ったんだ。即金で買ったよ。ポンドに換算して30ポンドくらい。当時ですら安い値段だったよ。」 |
2本のヘフナーとセルマーケース |
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Karl Hofner 500/1 '61 61年4月、ビートルズがハンブルグに滞在していた頃、ポールはセントラル・ショッピング区域にある“スタンウェイ楽器店”を訪ね、約30ポンド(350マルク)でこの61年製500/1バイオリン型ベース(俗にキャバーン・ベースとも呼ばれる)を購入した。購入当時のベース用ケースは、付属のヘフナー製黒タイプの物だった。 この左利き用Hofnerはポールの為だけに作られた1本であり、2本と存在しないと言われているが、実はそうでは無い。 ボディ部TOPは1プライのスプルース、SIDE&BACK部はメープル材を使用。ボディ内部は空洞の“ホロウ・ボディ・タイプ”。 TOP、BACK共、縁取りにバインディングが施されてある。TOP部は丸みを帯びたアーチド仕様になっているが、BACK部は平坦なフラット仕様になっている。 ネック部はメープル材3ピース。指板はローズウッド材を使用。22フレット仕様。ヘッドのロゴはヘフナー社が57年から採用した縦長のロゴタイプである(ごく一部の61年製タイプのHofner 500/1には、横書き筆記体金色ロゴも存在する)。 ペグは4個独立したタイプと2列4個型のタイプが存在したが、ポールが使用していた“61年製500/1”は、4個独立型である。プラスチック製の楕円形のつまみ。 ピックアップはプレート状の物で、菱形の模様の中に"Hofner"のロゴ入り。リア側ピックアップはBaseの真鍮が剥き出しになっている。ピックアップの配置は56年以降に採用されていたネック側とボディ中央部に設置されている。ピックアップを保護するエスカッションはスモールタイプ。 コントロール部は、長方形のプレートに2個のボリューム・コントロールと3個のスライドスイッチ。 ブリッジは、2個のネジを回転させる事によって高さの微調整を行う。またこのブリッジには4つの丸みを帯びた金属製のサドル(フレットを小さく切った物)の溝に弦を乗せる様に出来ており、弦に負担を掛けない。 テイルピースは55年からのオリジナル仕様の物を採用している。 ストラップピンは付いていない為、初期はストラップをヘッド部分に巻き付けて使用したが、後は63年製同様、ボディに巻き付ける方法を取っていた。 ポールは、64年11月に、英サウンド・シティ社にて、ペグの交換、新たなエスカッションの製作、ボディトップ・リフィニッシュ(3サンバースト)、ボディサイド・リフィニッシュ、ネック裏の塗装を剥離しクリアラッカー、コントロールノブの交換を依頼し、これを、63年製500/1をメインで使用していた頃のサブベースとして使用していた。或いはこの時期にセルマーケースを入手した可能性もある。 後に"レヴォリューション"のPVで確認出来るこのベースのネック裏は再塗装が行われた。ヘッド裏はサンバースト調に、ネック裏には赤いラインの様な塗装が施された。また、ボリュームノブも通常のティーカップノブに戻された。 「シングル“レボリューション”のレコーディングで使用した」という内容のHPや書籍を目にする事がある。これは同曲のPVの中で、この“61年製ヘフナー”を使用し撮影を行っただけの事であり、レコーディングでも使用したという事の可能性は低いし、断定も出来ない筈である。 “レボリューションPV”での61年製ヘフナーは、ブリッジ付近に「黄色い布」をミュート代わりに置き、ネック裏に細く赤スプレーをしている(と思うのだが、或いはナチュラル色の可能性も有り、詳細は不明)。この仕様は“GET BACK SESSION”の初期フィルムでも同様に確認する事が出来る(下記画像を参照)。何故なのか逆巻きペグに変更。また、つまみ部分が壊れてしまっていたペグについては、金属つまみのペグに交換している。 この61年製ヘフナーは、GET BACK SESSION中に盗まれたという説が今の所、通説となっているが、こういう説も考えられる。 THE WHOのベーシスト、ジョン・エントウィッスルの手によって粉々に破壊された、という説である。1990年6月1日発行の雑誌「BASS MAGAZINE Vol.20」に掲載されたジョン・エントウィッスルのインタビューによると、「(略)〜。それからポール・マッカートニーから700ポンドで買いとったヘフナーを1本グチャグチャにした。〜(略)」との事。この雑誌の事を筆者は長年の間忘れていたのだ。当時、ポールの61年製ヘフナーが盗まれたなどという話を知らなかったので、何も考えなかったのである。もしこれが仮に61年製ヘフナーの事であるならば、もうこの世にあのヘフナーは存在しないという事になる。だが真相は闇の中・・・ポールのみぞ知る、という事だ。 いずれにしても、下記の画像が、私達が見る事の出来る最後の61年製ヘフナーの姿である。 |
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Karl Hofner 500/1 '63 ポール自身がロンドン・セルマー社で購入した2本目の500/1ベースは、63年にセルマー社に注文し、同年9月頃に購入している。 61年に購入した「500/1」はエスカッションに問題があり、ライヴ活動に於いて幾分かの不安を感じたのだろう・・・。その為のスペア用に購入したものと考えられる。 が、スペアになったのは、「61年製500/1」であり、メインになったのは、こちらの「63年製500/1」である。 前にも述べたが・・・、一般的にノーバウンドネックタイプで、「2ピースネック」「2連ペグ」を“62,63モデル”と呼ぶ事が有るが、この語源は62年製の特徴を持った63年製、という意味らしい。63年の初期に作られた物は、このタイプが多いとされている。 がしかし、後に述べる様に、単にパーツの入荷、職人の手作業による仕様の違いだけであり、事実、63年後期に作られたモデルでも、「2ピースネック」「2連ペグ」のモデルは存在する。 ボディ部TOPは61年製とは異なり、62年から採用された3プライスプルース、SIDE&BACK部はメープル材を使用。BACK部はトラ目の入ったメイプル材を使用。ホロウ・ボディ。 BACK部は丸みを帯びたアーチ仕様になっている。 ネック部はメープル材2ピース。指板はローズウッド(おそらくハカランダ)、22フレット仕様。バインディングは無い。 ヘッド部ロゴは、ヘフナー社が62年から採用した横書き筆記体の金色ロゴタイプ。ペグは長方形の形をしており、この点は61年製とは明らかに異なる。ペグは2列4個型のタイプ(ペグに関しては、「4個独立型」と「2列4個型」の2種類があるが、これも当時のヘフナー社へのパーツの入荷次第で変更されてしまう・・・。ポールが使用している500/1'63が、たまたま「2列4個型」になっているだけで、これが年代の特定には結び付かないのだ・・・)。 ピックアップも変更されており、1個のピックアップに4つのネジ型ポールピース、4つの長方形のポールピースが露出した形に作られている。このピックアップのボディに対する配置だが、オリジナルの55年製と同様、ネック寄りとブリッジ寄りに配置されている。なお、このピックアップに付けられたエスカッションだが、これも61年製同様のスモールタイプであり、高さ調整はエスカッションの横のビスを緩めて調整する様になっている。
「LET IT BE(GET BACK) SESSION」中の1月7日には、ボディ部に「BASSMAN」のシールが貼られた(映画の中では"Across The Universe"と"Dig a Pony"の間)。当初は水平に貼られたシールは、トゥイッケナム・スタジオでのセッションの途中、ジョージがバンドを抜けた日(1月10日)に斜めに貼り直された("LET IT BE NAKED"リリースに合わせて作られた2003年の"Get Back"PVで確認出来る)。 その後もレコーディングには使用され続け、70年1月4日の、シングル・アルバム用“Let It Be”の為の、ベース・オーバーダブの際に使用されたのが、ビートルズとしては最後となった。 その後もソロ、ウィングス時代でも使用され続けたが、“リッケンバッカー4001S”がポールのメインベースになり、へフナーは暫くの間、日の目を見る事は無かった・・・。 ただし、79年「カンボジア難民救済コンサート」では、“LUCILLE”でロバート・プラントが、このヘフナーを弾いていた(もちろん弾いてる格好だけ・・・)。 正式なレコーディング、ライヴ活動で使用される様になったのは、89年のアルバム“FLOWERS IN THE DIRT”以降であり、その後のポールの活動には欠かせないメインベースとして、使用されている・・・。 コントロールパネルの四隅計4個のビスは、映画「LET IT BE」で既に確認出来る為、通常の中央2個のビスを諦めて補強していたものと思われる。 また80年代からポールのローディーを請け負っていたニューヨーク“MANDOLIN BROS”の“ジョン・ハンメル氏”によって、1995年にフレットの調整、ブリッジの調整が再度行われ、E弦の3フレット目で若干シャープしていた部分を正確なピッチが得られる様に改良された。またこの調整の際、ヘフナーボディサイド部に貼られていた“曲目リスト”が剥がされている。 この様にして、ステージでもレコーディングでも使用に耐えうる状態に修正が繰り返され、現在でもポールの“正しきメインベース”としての働きをしている。 2013年、「50周年」を迎えたこのHofner 500/1は、ポールの音楽人生を共に歩み、まさにポールの分身だったのだと言えよう・・・。 |
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Karl Hofner 500/1 '64 64年夏、ロンドン・セルマー社の取締役である“アルビー・ペインター”は、ポールに500/1ベースをプレゼントした。 パーツはゴールドメッキ仕様で一般的に知られていない500/1。このベースは、アップル社ビルから盗み出されたという説が有り、その後あちらこちらで転売を繰り返し、現在に至っている。「ポールが受け取りを拒否した」という通り、ポールは一度も使用していない。 画像の500/1はその実物である。ヘフナー社は、「このタイプの500/1は1本しか作っていない」と語っている。 この500/1だが、実はセルマー社が、“ブライアン・エプスタイン(ビートルズのマネージャー)”に、セルマー社との間に契約を取り交わす保証の為にヘフナー社に製作を以来した、という物だったらしい・・・。 同時に、セルマー社は、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンのために、ゴールドメッキ仕様の“ヘフナー・クラブ”と“ヘフナー・プレジデント・ギター”という2本のギター製作をヘフナー社に依頼し、ビートルズ側に贈呈しようとしたが、彼らは丁寧に受け取りを辞退した。これら2本のギターは、現在でもセルマー社で保管されている。 この“500/1 '64”の仕様だが、ヘッドのロゴは、プラスティック製の浮き彫りロゴ(レイズドロゴ)、ネックにはバインディングが施されており、パーツ類はゴールドメッキ処理されている(現在は殆ど剥がれてしまっているらしい)。ネックは2ピース仕様でグリップは太めとの事。 限りなく63年製スペックに近い「64年製豪華版500/1」という趣に見える。 |
Karl Hofner 500/1 '65(?) ’93年のポール・マッカートニー日本公演の際、東京ドームの舞台裏で、ほぼ同年代のヘフナーベースを見た、という目撃証言があったらしい・・・。89/90のワールドツアーでもサブ用として用意されていたこのヘフナーベースは、“Off The Ground”のPVで観る事が出来る。この画面だけでの判断は非常に難しいが、とりあえず、スモールエスカッションで、コントロールパネルが大きい頃の65年製の物を、63年製と同等のサイズにカットし、バウンドネックやヘッドのレイズドロゴを改良した物ではないか、と思われるが、断定は出来ない・・・。 コントロールパネルの位置が、通常のモデルに比べてかなりズレて取り付けられている。(画像) ネックはノーバウンド。ヘッドのロゴは「横書き筆記体」の金色プリントロゴ。(画像) リアピックアップの位置が、フロントピックアップ寄りに取り付けられており、両ピックアップの間隔は当時の物としては短い。 テールピース付近に有る筈のボディのキズが、このヘフナーには無い。同様にポールが親指弾きする際に剥がれてしまった「塗装の剥がれ部分」が確認出来ない。(画像) ボディSIDE側に貼ってある筈の「66年ツアー曲順リストを書いた紙」が確認出来ない(93年当時)。(画像) はっきりした事は言えないが、65年製を改造した物という見方をするしか無い・・・。 |
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Karl Hofner 500/1 Reissue Model 99年12月14日、ポールは故郷であるリヴァプールは“CAVERN CLUB”で、アルバム“RUN DEVIL RUN”に合わせた内容で、約25年ぶりのライヴを行った。2001年にはそのライヴを収めたDVDが発売されたが、アンコールナンバー“PARTY”を演奏前に一瞬だけ、特別なヘフナーが画面に映し出される(上画像左)。これと同一の物かどうかは不明だが、2002年のUSツアーを収めたDVD“Back In The US”の中で確認する事が出来る(画像右)。これは、99年のCAVERN CLUB LIVEの際、61年タイプ500/1リイシューモデル“キャバーンベースモデル”が存在したという噂から来ているもので、裏付けられる証拠は今の所無い。 |
Karl Hofner 500/1 '66(?) 66年製と思われる右利き用ヘフナーだが、左利き用に弦を通してある。ブリッジは右利き用そのまま。ポールがこれを所有する理由は不明だが、もしかしたら、あらゆるオールドヘフナーを試していたのかも知れない。 |
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Karl Hofner 500/1 50th Anniversary 2006年、ポールは、ヘフナー社より“Hofner 500/1 誕生50周年記念モデル”を譲り受ける事になる。シリアルナンバーは「1」。150本限定生産の為、日本国内に入荷している数は非常に少ない。 61年モデルを模したこのヘフナーは、細部まで61年製の再現を行っており、これを超える物は恐らく出ないであろうモデルである。 一日も早いステージでの使用を観てみたいものだ。 |
Karl Hofner 125th Anniversary 500/1 2012年6月4日、イギリス・バッキンガム宮殿にて行われた、エリザベス女王即位60周年記念コンサートにて、トリを飾ったポールが、出演者全員で"Ob-La-Di,Ob-La-Da"を演奏した際に使用したヘフナー。ユニオンジャックがペイントされている。ポールの為に作られた物。 その一年後、ヘフナー社より“全世界60本限定”で一般発売され、日本にも10本が入荷した。豪華なギターケースに、証明書などが付属。 基本は"500/1 Vintage 62"であり、ユニオンジャックの柄がペイントされている。ユニオンジャックの「白」の部分は、色が塗られておらず、木目を生かしたデザインになっている。 ボディバック、サイド、ネック裏は、ラッカーのみが塗装されており、木目が綺麗に浮かび出ている。 |